2017年

6月

22日

■ 「社会を誹謗、暴言から守ろう」韓国、社会運動家の来訪

  韓国の社会運動家のミン (閔)ビョンチュル氏の来訪を受けた。ミン氏は韓国の非常に著名な教育学者でこの10年、「善プル運動」という社会運動を広く国内で展開しています。他人を汚い言葉で誹謗、中傷しない、ヘイトスピーチをやめる、誰とでも優しく付き合うという生活指導を中心としており、とりわけインターネット社会では匿名の書き込みなどで人を非難し傷つけることが横行、そのことでタレントが自殺したなどの事件も時々起こる、それらをやめさせ、明るく健康な社会を作ることを目指しています。
      日本人の性格は一般的にもっと穏やかで、お互い傷つけ合うことは余りない、ただ日本でもへイトスピーチ規制法が成立し、ネットの書き込みなどもすでに社会問題化しています。「善プル運動」の目指す道徳的価値はしっかり認め、私が日本人の代表として積極的に応援することを約しました。
      韓国は大統領も変わり、新しい時代を迎えようとしています。日韓間には慰安婦、竹島など一方で大きな政治問題...もありますが、社会レベルや人間レベルで交流を進めることは大変重要なことです。

あとは居酒屋に場所を変え、おそくまで人間関係を深めました。

2017年

6月

21日

■ 次世代の原子力エネルギー「溶融塩炉」(MSR)、盛大な学習会

  使用済み核燃料を食い潰すとされる次世代の原子力エネルギー「溶融塩炉 (Molten Salt Reactor)」を学習する会を開催した。私たち議員( 最高顧問 額賀福志郎、森英介、 会長 山本拓、 幹事長 原田 )が世話人として出席、政府からは文部科学省、資源エネルギー庁、環境省ら、経済界からは経団連、電気事業連合会、各電力会社、また研究者、学者も多く出席し、総勢200人以上の大規模会合となった。

  国のエネルギー政策の中で原子力エネルギーが  重要なことは理解されているが、6年前 の東日本大震災以降、使用済み核燃料の処理など多くの問題点が噴き出してきた。ついては国のエネルギー政策のうち「原子力エネルギー」の位置付け、将来の見通し等につき専門の学者( 電力中央研究所 「木下幹康」教授、東京大学 「寺井隆幸 」教授 )の講演を聴いた。次世代の原子力エネルギーとして「溶融塩炉」が多くの長所を持ち非常に有用であり、すでに米国と中国の研究開発が大きく先行してい...るが今からでも遅くない、わが国も早急に本格的対策が必要であるとの方向となった。これによりわが国の原子力分野の蓄積と人材の継続的育成が十分可能となるとの期待も謳われた。
      合わせて元文部大臣、元東京大学総長の「有馬朗人」先生から今日我が国の科学技術教育の相対的低下が危機的状況にあり、「溶融塩炉」などの先進的分野の研究開発の加速化、実用化が極めて重要であるという力強い演説も添えて頂いた。
      最後にこれらの思いを決議文に託し、会の総意として自民党、政府へ訴えた。

2017年

6月

20日

■ 世界から、元気な子供たち

  私は「(財)国際青少年研修協会」という教育組織の会長を10年ほど努めています。この任務では普段と違った刺激を受けて、自らの活性化にも大いに役立っています。この会は40年の歴史と実績を持ち、すでに3万を超える外国と日本の子供たち( 概ね、中学生まで)を相互に行き来させて、国際交流、国際理解を進めています。一度私も外国に引率することになっていますが、未だ果たせません。

  インドの子供たち、非常に高い階級の子供たちで、全員がイギリス型の寄宿舎生活、反応の速い子ばかりでした。
  シンガポールの子供たち、日本語学習をしており、会話は半分日本語で通じます。浜松市で2週間ほど中学校に通ったが、数学など易しかった、という。

 

2017年

6月

17日

「三連水車」と「山田堰(せき)」朝倉市驚異の治水事業

  この大事業は、江戸時代 、 約220年前に起こされました。筑後川は昔から暴れ川でしたが、その水を農業用水として活用し広く地域の発展に結んだのが「山田堰(せき=ダム) 」と「三連水車」でした。この壮大な土木事業とそれを産み出した先人たち(庄屋 「古賀百工」ら)の知恵、血の出るような努力、その集結力、持続力に現代人はただ驚くのみです。その偉大さは時代を超えて、地域遺産として未来に向けても生きていきます。またこの事績と技術は今や遠く国際的にも評価され東南アジアなど途上国の開発発展に大きな影響を与えています。(「ペシャワール会」、「中村哲 医師 」らの努力も)
今日は、その山田堰から三連水車を結ぶ「堀川用水」の通水行事が厳かな神事とともに行われました。皮肉なことに今年は田植えの時季を迎えて強く渇水の傾向にあり、神事祝詞にも雨乞いの祈りが入りました。
  尚、10年前、この一帯は国の『疏水百選』に選ばれ、三連水車はその「全国名鑑」の表紙まで飾りましたが、私も農水省、国交省辺りに強く働きかけたことがありました。

追、 この場所は、斉明、天智両天皇がご来臨されたとする史実、伝承が残っており、地域の観光資源となっています。

 

2017年

6月

16日

■ カナダ・オンタリオ州にも反日運動

  カナダ・オンタリオ州議会では、中国系住民を中心に「南京事件記念日」を制定しようとの動きが活発になってきた。5月中の州議会では法案審議は間に合わなかったが、9月からの会期には当然本格的な審議が行われる。市街での千人規模のデモや資金集めなど市民運動も強く後押しをしているようで、我が国としては早めにしっかりと対応しなければならない。今回は自民党有志の15人の名前で州議会の責任者宛て、強い反対意見書を送付した。
  これは、国際社会でいかに反日運動が広がっているか、国際的情報戦争に圧されているかの事例である。毎度モグラ叩きみたいなことを重ねても埒が開かないのであって、本来は日本の国家国益を踏まえた総合的な情報発信政策が何より必要ということを痛感する次第である。

 

2017年

6月

15日

■ 徹夜国会、会期末には恒例に

  いよいよ国会も会期末となりました。いつもの風景とはいえ、民進党ら野党が内閣不信任案を上程し、日付けが変わって深夜に記名採決、終わったのは2時30分。投票の与野党差は1対 3にも及ばず、本当なら採決するまでもなかった。一方の参議院の方は、いわゆる「テロ等準備罪」に絡む法務大臣、委員長らの問責決議の手続きで翌朝の8時頃までかかった。
  これら国会手続きの非合理性についてはいうまでもないが、「議事妨害」(filibuster)というのは、弱い野党が強い政権与党に対してルールの限りを尽くして抵抗することで、何処の国にも存在する。いわば、議会主義が健全に作用していることの証しともいえる。野党にだけはなりたくない、と最も強く思う瞬間でもある。

 

2017年

6月

14日

■ 「山元学校」、とは「現代の松下村塾」!

  「山元雅信」氏は市井の人でかつ偉大な宣教師である。国境を越えて若人たちを、平和と繁栄、幸福へと導こうとされる。「山元学校」は私塾「松下村塾」、「郷中教育」の現代版、開講20年、すでに2万人以上の受講生を送り出した。
  本日、八木下重義氏「地震は予知できる」には強い感銘を受けた。「東日本大震災、熊本大地震」を止めることは出来ないが被害をなくすことは出来る。(一般社団法人 地震予兆研究センター)

 

2017年

6月

13日

■ 人は何故、雨を祈るか。「戒壇院コンサート」(その2)

  コンサートの合間にご住職から心に浸むお話(仏話)を聴くことがありました。

  この日は素晴らしいお天気でした。人は皆晴れの日は喜ぶ、雨が降ると嫌な、困った顔をする。「晴れ男」と言われれば胸を張り、「彼は雨男」と呼ばれれば、つい肩身が狭くなる。...
  しかし、実は、古今の仏教典のどこを探しても、晴れの日を祈る経文は一つもないそうです。雨を祈る、「雨乞い」の経文は至る所に出てきます。晴れは放っといてもやって来る、雨は乞い祈らなければやって来ない。雨の日にこそ真実があり、困ったなと思う時こそ、実は本当の幸せがあるのです。だから人は昔から雨の降ることばかりを懸命に祈ってきたのです。

2017年

6月

12日

■ あの戒壇院でのコンサート

  初夏の新緑が映える中、名刹(めいさつ)「戒壇院」にて音楽コンサートが開かれ、しばし至福の瞬間に浸りました。銘打って「菩提樹の下で」。「戒壇院」とは奈良時代に唐僧「鑑真」が開いたもので僧尼の修行する、戒律を受ける寺として、ここ太宰府(観世音寺)、奈良(東大寺)、栃木(下野薬師寺)とともに「天下三戒壇」と称される。仏さまの樹とされる「菩提樹」が大事に保存され世の平安をこそ祈っています。

 

2017年

6月

11日

■ 弁護士事務所と私

  私の事務所の奥谷義満君(弁護士)の結婚式があり、事務所の面々がその門出を祝いました。皆で写真を撮るのは久しぶりです。
  私は細々と弁護士事務所(「原田国際法律事務所 」)を運営して10年を超えました。私は政治一本の生活を続けていますが、実は誰しも議員は、政治事務所を維持するのが経済的には大変なのです。浮き沈みが極端に激しい生活であって、月々の議員手当てと後援者の浄財だけでは十分にやっていけないのが正直なところです。選挙時や、ましてや落選でもしたら、1日と続けられない過酷なものがあります。
  平成21年に落選した時、私を支えてくれたのは弁護士事務所です。若い弁護士の応援を得て組織を強化しました。どだい私自身が余り法律や訴訟の研修や実戦経験が無く、その分弁護士陣と事務職員が懸命に頑張ってくれました。私は法律事務所には時々顔を出し、また営業的業務には力を尽くしたものです。
  なんの社会でも生きていくことは大変なことです。人生とは『重い荷物を背に負って遠い道のりを歩いて行くが如し』といみじくも喝破したのは、かの徳川家康だと言われています。私にはせめて事務所の諸君に心から感謝するくらいしか出来ません。