■ 水城(みずき)堤防に掛かる,朝鮮半島の歴史と日本(その1)

  福岡県の大野城市と太宰府市に誇るべき国特別遺跡「水城(みずき)」堤防がある。読んで字のごとく、水で国を守り、水(水害)から地域を守るための壮大な施設、堤防(=城)である。西暦664年に出来たとされる(「日本書記」)。
  往時、朝鮮半島は戦乱が続いており、北部の覇者 「新羅(しらぎ)」は、宿敵 「高句麗」を平定したあと「唐」(中国)と結んで南端「百済(くだら)」に襲いかかった。わが大和(やまと、日本)は、交流の深い百済を加勢すべく参戦したが、遂に地の利は味方せず大敗を喫した、世に言う「白村江(はくすきのえ)の戦い」である(663年年)。逃げ帰った大和は、新羅・唐からの反撃を恐れ、防衛態勢の整備こそ急いだ。百済の職人、職工の土木技術を借りながら突貫工事となり、長さ1200メートル、幅50メートル、高さ30メートルの壮大な堤防を実に数年で築き上げた。博多湾から万一、新羅・唐軍が侵入しても奥地の「大宰府政庁」はこの堤防で守り抜くとの大和朝廷の決意でもあった。
  遂に、唐・新羅軍は大和を襲うことはなかったが、この壮大な水城堤防は、国の安全保障の重要性を今に伝えています。