■ 戦後史を語ろう。「博多湾引き揚げ」と「二日市保養所」

  戦後の福岡市「博多港」は全国で最も多く外地からの引き揚げ者を受け入れた。180万人に及ぶ。京都の「舞鶴港」も引き揚げ港として有名で「岸壁の母」の歌にもなっているが、その数は半分にも満たない。
  その博多港の「引き揚げ港」としてのレジェンド(記録)は、今や歴史の闇に埋もれようとしている。「引き揚げ」というあの戦争の痕跡は、功罪を含めてありのままに残さなければならない。

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      「引き揚げ」の極く一部にさらなる悲劇が。外地で若き女子たち500人余を極限の不幸が襲い、密かに堕胎を余儀なくした場所こそが「二日市保養所」と呼ばれた。筑紫野市二日市、今年の5月14日、私も音頭に加わり本格的な慰霊式を挙行した。

      歴史、それは取り戻すことのできない事実である。時が経てば忘却が進む。忘れていいものと、忘れてはならないものがありとせば、「戦争」という人類の最大の不幸は、せめての懺悔を込めてしっかりと後世に伝えなければならない。人は去り、起こった事実は当然に風化する。

  かくして私は歴史の勉強には可能な限り参加することとしている。真剣な市民運動は何処にでもあり、下川正晴氏(元毎日新聞)など黙々たる学蹟が道を照らしていることにはいつも勇気付けられる。