■ 明治の裁判録。「餅つき」先で見たもの。

  いよいよ12月も進んできました。「師走」とはよく言ったもので、私たち一応「師」(=「先生」)と呼ばれる者は特に忙しい。暮れの風物誌は何と言っても「餅つき」でしょう、一日に10カ所くらいに走って参加します。どこも多くの子供達で賑わい、居ながらにしてこの伝統行事を受け継いでいく態勢ができています。これこそが日本の誇るべき「歴史文化力」ではないでしょうか。

  大野城市釜蓋(かまぶた)地区。餅つきの賑わい広場の片隅にひっそりと立つ石碑に気付きました。明治時代の村人たちの地元紛争の経緯が記録されています。ある牧草地を巡って乙金(おとがな)村と瓦田(かわらだ)村含む7村が争い、遂に裁判に持ち込まれた。最初は「福岡始審庁法衙(ほうが)」(地方裁判所)、更には「長崎控訴院」(控訴裁判所)で争われ、裁判官の実地検証も行われた結果、遂に7村が勝訴した。爾来8村全体が仲良くその牧草地を共同で使うようになった。明治13年(1880年)頃の事案、最後の手打ちの指導者に「森山」、「花田」などの苗字も見える。
  大野城市は今、近在では歴史、文化、環境で最も住みやすい都市と敬われ、財政も豊か、人口は10万を超え年々増え続けています。その現代の130年以上前、このような歴史があったのです。牛馬の牧草地を血眼で争ったこと、裁判所で死力を尽くしたこと。しかし一旦断が下れば従容として皆、肩寄せ合った祖先たち。
  その同じ公園広場で、若い衆たちの餅つく威勢と火を囲んで睨みを利かす古老たち。はしゃいで駆け回る子供たち、餅を丸める婦人部隊の嬌声と。かくして1年も静かに暮れようとしています。

 

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    おり (火曜日, 20 12月 2016 21:41)

    本文とは関係ありませんが、虎の門ニュースにて原田先生の活動を知りました。
    人知れず国益を守る議員活動をなされていることに一国民として感謝申し上げます。
    これからも宜しくお願いします!