■ 嗚呼、「秘密病院」と呼ばれた慟哭の場所

  筑紫野市二日市( ふつかいち)に小さな祠( ほこら)が立っています。中には悲しい一体の母子像が祀られています。「二日市保養所跡」という石塔の文字が辛うじて読めます。
  ここに昭和21年春から特殊な医療施設が置かれていた、秘密病院とも呼ばれた「二日市保養所」である。戦後敗残した日本人が外地から700万人以上国に戻って来た。うち博多港には200万人が着いた。その中には不幸を抱えた若い女性たちも含まれていた。大陸から逃げ帰る途中、ロシアや中国や朝鮮で暴力を受け、不幸にも妊娠することも少なくなかった。京城帝大の医師たちが事を案じ国にも密かに持ちかけたという、密かに万感を超えて、この場所で堕胎が決行された。堕胎は、( 当時 )違法であった、医療設備が整っているはずもなかった、麻酔剤などは到底無かった。それでもレイプによる原罪をか弱い女子の個人たちに抱かせたままにおくわけにはいかない、せめてもの国家の懺悔の標( しるし)だったか、その数500に達したと言う。そしてこの苦行に立ち向か...った医師、看護師、助産師を顕彰することは遂に無かった。
  保養所は22年秋静かに閉じられた。戦後の歴史は速い、建てて崩して、今は立派な大病院( 済生会) と老人施設( むさし苑)が建ち、その裏庭の突き当たりに、その祠はひっそりと立つ。訪れる人もない、忌まわしい歴史なら忘れたいという人も、むしろいるに違いない。ただあの戦争の狭間で極限の痛みに耐えた女性たちと遂に陽の目を見ることなく生を絶った命たちがあったことは、せめて記憶に残してやってもいい。
  元新聞記者の旧友「下川正晴氏」が長く戦後史に取り組んでいて、私も「 二日市」と聞けば無関心であり得なかった。その史実を学び、今からでも決して遅くはない、気をとり直して鎮魂のお詣りに行ってきたのでした。毎年5月14日、ひっそりと水子供養祭が行われています。