■ 宗教者葬儀に参列して

  奥飛騨の秋は東京より少し寒いようです。岐阜県高山市の大殿堂の葬列には夫婦で参加しました。荘厳な葬送の儀、あるいは1万人を超す信者さんとともに、私も教祖様との最後の別れを終えました。献花台で慈愛に満ちたご温顔に正対した時、万感が胸に迫ってきました。
  昭和も少し残っていた時期、私は選挙活動を始め、藁をも掴む思いで教えを受けました。信者さんたちの神への帰依の絶対的信念は胸を打つものがあり、また俗人たる私への接点は、どこに場所を移そうとも変わることはありませんでした。何年に一度、本山に拝殿する度、神々しいばかりの教祖様の声を耳で受け、手を握って頂いた、ある時は落魄の時、ある時は当選のご報告の時、あの御手の温かさと柔らかさは暫くも私を鼓舞し続けたものでした。
  「天界にお帰りになり、教祖様は新しい精神活動に入られます」という継嗣者の宣言は、参列者全ての心の中に、新しい生命を芽吹かれるお姿を感得させるものでした。