2016年

10月

13日

■ 北方領土と私 (その2)

  私が北方領土に渡ったのは丁度10年前、平成18年7月に5日間。私は当時衆議院「外務委員長」をしており、いわゆる「ビザなし交流」制度で、5人の国会議員を含む総勢150人余り、私が事実上、団長を務めた。手記も多く書いたがここは省略、ただ日本東端、最果ての択捉( エトロフ)島の壮大さは、表現する術を持たない。7月9日の別れには日記に「エトロフ島、また会う日まで」と涙ながら大書した。
  私が何を感じたか。この島は最早返ってこないのではないか、何故なら日本の返還運動など全く役に立ってない、交渉が1年遅れれば返還はその倍難しくなる。私が特に恐れたこと、それは、日露で揉めているだけならまだ良い、実際には第三国、韓国、中国、米国、カナダ、北朝鮮・・・が滔々と入って来ていた。エトロフ島に「ギドロストロイ」という大きな水産加工工場があった、設置されている設備、機材、また働く労働者は全てこれら外国製で外国人、日本は建前上ここは「国内」であるから入出国、輸出入というわけにいかない、ひとり進出するのを厳しく自制、抑制していた、日本の設備、機材が見られなかった理由である。日が経てば経つほど返還は難しくなる、これが私の持った強烈な懸念であった。東京に戻るや、議員たちで官邸に赴き、安倍晋三官房長官( 当時 )に面会、返還交渉は1日も早くやるべし、第三国が入って来て益々返還交渉が難しくなる、少々の条件は呑んでも交渉は急ぐことが肝心、と強く訴えた。
  あれからまた10年が経っている。