■ 小石原川ダム視察、異聞 < 子ども鹿と遭ったこと>

  30年を超える地元社会の混乱と総意とが遂に成ろうとする、「小石原川ダム」の工事進捗を自分の目で確かめる事は私にとって感慨の深い、緊張の伴うものでした。
  その時「キーン、キーン・・」といきなり動物のかん高い鳴き声が空を破った。子鹿が網に掛かった、と誰かが指差した。傘を除けて見ると一匹の小さい鹿が工事道路を隔てる防護ネットにクビを突っ込んで暴れていた。暴れれば暴れる程、網は絡みつく。クビを、全身を、絡めていく。キーン、キーンと口からは大きな悲鳴を発します。 一同、同行者6、7人、沈黙しました。顔を見合わせた。どうしようか、数秒沈黙の後、1人が山に駆け上った。のたうつ子鹿のその場所に分け入り、網を手繰り寄せる、どうしてもクビが外れない。もう1人が乗ってきたトラックからハサミを取って来た。網のほんの一部にハサミを入れると、遂に子鹿のクビがするっと抜ける。自由になった子鹿は勢いよく雨に濡れるブッシュの中に消えて行った。一...人が寄ってきて、ネットは後で補修しておきます、と私にそっと告げた。
  実は私ら森林地域では、鹿とイノシシこそが害獣として最大の問題です。植林や農作物への被害が極めて深刻、森林組合や農家の悲鳴は大きな政治問題になっています。その捕獲や殺処分には地元社会挙げての苦労と努力が注がれています。防護ネットも農作物を守る重要な対策です。
  工事も関係者も地域社会も、ダム建設というこの世紀の大事業に真剣に向き合っています。そして多分あの子どもの鹿もその中で懸命に生きようとしているのでしょうか。全員が瞬間悩み、しかしあのキーン、キーンの鳴き声には、深い哀しみを互いに共有するものを感じたのでしょう。私はといえば、ただその10分間、茫然と人の動きを見守るだけでした。