■ 山崎拓『YKK秘録』の衝撃 (その2)

  YKKとは、畢竟(ひっきょう)、竹下派( 経世会 )統治からの脱皮と打倒であり、そのターゲットは他ならぬ小沢一郎その人であった。その小沢を遠く離れて敵視していたのではなく、多く直接の交流を求めていたことが意外な発見であった。山崎という政治家の重層的奥深さを改めて知る。
  山崎本はすでに政治史資料として「 第一級」との評価が出始めた。「事実を以って語らしむ」ということは学問の世界、歴史学の世界で特に重要である。「事実」という真理は一つしかないから。山崎本は一歩進めて、「記録を以って語らしめ」た。記録が客観的である限り、それは真理に近づく。克明な記録、この場合「日記」が歴史を解明した例は少なくない。因みに日本の裁判、訴訟では論文や論説には価値はないが、日記は「証拠」として扱われることが多い。
  山崎は総理大臣になろうとした。真剣にそれを目指した (私を含め、全ての議員はまず総理を目指すが、それを長く「真剣に」目指す人は殆どいない。) 。彼の政治的動機...は戦後の政治家「緒方竹虎」氏であった。福岡で同じ付属中学校、修猷館から早稲田とずっと後を追った。選挙区の大先輩でもある。緒方は副総理、自由党総裁として総理の目前で斃れた。緒方の無念を晴らすのは自分しかない。しかし山崎も総裁選後ついに断念して、小泉を立てることとした。小泉の下で山崎は本当に狛ねずみのように働いた。
  戦い終えて日が暮れて、今山崎氏の心は明鏡止水、黙々と日記帳を繰りながら、結局自分には総理は来なかったが、しかしYKKこそが日本の政治を真に民主化させた。日本を変えたのは小泉純一郎であり、小泉を作ったのは自分である。だからこの「打算と友情」の血盟において KK の順番はどっちでもよい、だが Y を筆頭に書き出すことこそ政治レジェンドとして最も大事なのだ。いみじくも彼は纏める、「小泉は信長型、加藤は秀吉型、自分は家康型と言いたいが結局軍師黒田官兵衛だった。」
  最後に私は、私の真の政治的恩師、渡辺美智雄先生(平成7年亡)に20年ぶり邂逅( 再会 )を果たした。