■ 豊臣秀吉と「名護屋城」

  佐賀県唐津市の名護屋城跡。豊臣秀吉は天正年間の1587年に九州を平定し、89年事実上全国を統一した。秀吉は引き続き世界に目を転じ、「高麗」の李氏朝鮮に中国(明)征伐の協力を強いたが、李氏は拒否した。反発した秀吉は91年「唐入り」( 中国攻め) を決し、肥前の名護屋を前線基地として僅か8ヶ月で城を築いた。文禄(93年)、慶長(97年)の2つの役では朝鮮に20万の出兵、在住10万の兵を抱えた。朝鮮とは和平交渉まで進んだが、98年に秀吉自身が没したことで、全軍撤退、ここで秀吉の野望は消えた。最盛期には人口10万を超え、120の陣屋( 大名居住)が置かれた。国特別史跡に指定、名護屋城は100名城のひとつに列せられる。
写真は歴史館と城跡