2016年

3月

09日

■ 爆撃機の帰還、太平洋戦争70年目の「友好」

  太平洋戦争末期、米軍の編隊が大分県の軍港佐伯市を爆撃した。コルセア機1機が撃墜、佐伯湾に落ちた。機体は長く海に沈んでいたが10年前、町の篤志家( 河野豊市会議員ら)の尽力で陸に揚げられた。町の片隅で戦争の無残さを伝えるものとして密かに保存されている。
  「イントレピット号」は太平洋戦争で勇猛を馳せた戦艦であるが、今はニューヨークのマンハッタンで「太平洋戦争博物館」として退役生活をしている。博物館の人々があのコルセア機を取り戻したいと熱望していた。ある日本人がそれを聞きつけ、佐伯市にその話しを繋いだ。佐伯市は苦渋の議を経て機体・残骸をアメリカに返還することを決めた。
  かくして3月6日、佐伯市で「米軍機『コルセア』アメリカ合衆国への返還式」と銘打った式典が盛大かつ厳かに行われた。海軍佐世保基地司令官、福岡領事館首席領事というアメリカ側代表を賑々しく迎え、式典は粛々と進む。大戦の反省と戦死者、遺族への鎮魂の祈り、世界平和と日米連携の絆の強化を全員で誓い合った。米海軍儀仗兵による日米国旗の入場。両国の国歌が独唱された。「海ゆかば」と「星条旗よ永遠なれ」を載せたトランペットの高音が雨空一杯に響き渡った。ついには天も涙雨を止めることはなかった。
  昨年の夏頃か、若き友人「岸田義郎」君が国会事務所に訪ねて来た。国の主権、領土や領海、そして何よりも日本人の誇りを大事にする活動的な国際人である。私と馬が合う。様々議論の途中で、彼は言う、イントレピット博物館が佐伯市と連絡したがっているが、手掛かりがない・・・・・それなら「衛藤征士郎」代議士の地元だ、衛藤先生に頼もう。ついでに外交に絡むから外務省の米国担当も電話で呼び出しておいた。大臣と同じ苗字( 岸田 )なのも何かの縁だ。岸田君は行動が早い、早速お二人にはあの足で会ってきました、と翌日には報告してきた。
  爾来半年余、岸田君は佐伯市関係者と懸命に接触した。事は容易くはない。戦時遺品であること、市民感情もある、外交にも関わる、軍にも関係する、一体費用は誰が見るのか・・・・。今は「佐伯市長事務代理」の名刺を持つ彼はアメリカとの折衝も一手に担った。ニューヨーク市、博物館、国務省、国防省・・・戦時遺品を受け入れるのは実は単純でない、許認可や税関の扱いは複雑極まった。

  「拾う神」とはいるものだ。最後の難関、あの大きな機体の輸送費はどうする。「日本郵船社」が引き受けてくれるという、衛藤征士郎先生の説得によるもの。今月3月27日に、ワシントンの国防省で正式な機体「引き渡し」が行われるという。

  多くの多くの人が関わって両国の思いがここに成就した。そのうち誰れ一人として途中で欠けても、このchain reaction ( 行動の連鎖 ) は完成しなかったろう。 奇しくも数日前、飛行士イズレイ少尉の遺影が見付かったという。遺族の消息は未だわからない。

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コメント: 1
  • #1

    烏龍茶 (木曜日, 10 3月 2016 05:58)

    御霊がようやく母国に帰れる喜び。
    久しぶりに温かい気持ちになりました。

    政治活動とは如何に幅広いかを改めて知りました。 そして困っている人がいれば手を差し伸べる。
    日頃のつながりがあったからこそ実現出来た米国への引き渡し。
    ご遺族が天国で見守ってくれるでしょう。