■ 「戦後70年談話」、敢えて論評

  8 月14日、総理「談話」が遂に出た。政権側は当然、よく言った、よく頑張ったと高い評価。野党は文句は言うが、致命的批判には至らない。肝腎の中国、韓国、表向き苦情は言うが、特段抗議するほどでもない。米国は、中韓さえよければもちろん問題はない。それゆえ新聞、テレビも概ね可もなし不可もなし・・・
  私は、まず本件、無難に乗り切ったことに心から安堵し、総理ほか関係者に深甚な敬意を捧げたい。併せてこの「談話」とは結局は何のため、という最初からの疑問は残ったまま。ただ政権側の粘り強さと安倍氏の終始一貫、誠実な対応、「21世紀構想懇話会」という手法、さらに裏で駆使したであろう調整力、言語力、修辞力などには頭が下がる思い。あとは国民にどう評価されるか、内閣や与党への支持率にどう影響するかに関心が移る。
  そもそもこの「談話」は戦...後70年も経った今、かの太平洋戦争の総括はすでに終えて、今こそ国として、自由闊達に、本格的な未来ビジョンを作ることを目指した。安倍総理の強い思いでもあった。しかし「談話」をやると決まった途端、内外からあらゆる意見、条件が出されてきた。中国、韓国からは容赦ない注文が入った。村山談話らの継承はいつしか必須の前提にもなった。本当はそれがいやさに「独自」の思想表明と繰り返し約してきたのに。いつしか、中身の独自性と取り込むべき注文との調整こそが最大の焦点になった。「反省」も「お詫び」も「侵略」も使わない訳にはいかない、が言われた通りは使えない。然れば言い訳がましく、説明調になる。文章は長く、冗長になる。高らかな未来ビジョンは、総花過ぎて、焦点がぼけてきた、書いた割には印象も薄く高揚感も残らない。痛々しささえも残った。
( 言い訳や注文はこれからも文章として残る。だから私は敢えて「談話」など出さない方がいい、と言い続けてきた。)
  しかし、安倍総理は敢然とやり遂げた。そして肝腎の中韓米も納得した。もしこれがいわゆる歴史認識問題への終止符となり、これから日本は専ら「未来志向」と「積極的平和主義」の二本柱で突き進めるとしたら、この「談話」が果たす外交的、政治的かつ歴史的な成果は限りなく大きい。かの国々はさすがにもう「反省」も「お詫び」も言ってこないはずだ。もちろん10年後、我が国が「 80年談話」などで悩むことはあり得まい。