■ 「名槍日本号」物語

  「名槍日本号」というのはその名のごとく日本で最も有名な槍であろう。大変な軌跡を経て今がある。この槍は正親町(おおぎまち)天皇所蔵から始まった。室町幕府の15代将軍足利義昭を経て、織田信長、そして太閤秀吉に渡った。勲功により幕下の福島正則(広島城主)が拝領した。
  福岡藩主の黒田長政の家臣「母里(もり)多兵衛」が大盃の酒を飲み干したことで、約束通り、福島公から貰い受けた。これが松口月城の漢詩となり、名曲「黒田節」に繋がっていく。なお、松口月城は福岡県那珂川町が輩出した文人。
  福岡市博物館に「名槍日本号」として展示されている槍があるが、それは本物の「日本号」なのか。那珂川町の歴史研究グループの藤野辰夫さんに相談したところ、それは正しく「本物」とのご託宣を得た。いわく母里家から離れて長く転々したが、昭和19年、玄洋社経由で黒田家から福岡市に所有が移されたことが歴史書でも裏付けられている。一方福島正則の広島市は未練が残ったか、広島市博物館にはレプリカが置いてあるという。...
  福岡市博物館には「漢の奴の倭の国王」の金印も収納されているが、我々福岡県民はなんと誇らしい歴史遺産の下で暮らしているものか。