■ 「日本は多分、植民地にはなるまい。」

  江戸の中期、未だ鎖国時代、長崎出島にオランダ商館付きの医師としてドイツ人ケンペルがやって来た。彼は帰国後に優れた日本紀行文『日本誌』を書いた。彼は3つのことを書いて日本のことを激しく称賛した。
  第一に天皇制度と幕府の将軍制度の並存。絶対権威者の天皇と絶対権力者の征夷大将軍が互いに補完し合うという珍しくも絶妙な政治体制。第二に犬公方と言われる将軍綱吉を英邁な君主として賞賛。悪法とされる「生類憐みの令」さえも極めて高く評価する。この法は捨て子や子殺しの禁止、親のない子を育てる義務、囚人の待遇改善、弱者や貧者救済など社会政策と軌を一にする。第三に鎖国政策を擁護した。日本は国内経済が潤い、肥沃な田畑に恵まれ、国民は道徳、教養、技芸、生活どの面でも優れ、世界でも稀な長さの平和と幸福を享受している。開国して態々西欧諸国の汚濁の世情に影響を受ける必要は毫もない・・・
  彼の生きた当時のヨーロッパは余りに悲惨だった。ケンペルの生まれた1651年は30年戦争の直後であった。カトリック対プロテスタントの宗教対立、列強乱れての覇権争い、国土は荒廃し経済は疲弊し、ペストも流行し、人口も急減した。魔女狩りが横行しケンペルの叔父も処刑された。ケンペルは平和や平穏や秩序を何よりも祈っていた。医師として多くの外国も渡ったが出会った王や権力者が権勢や乱脈や戦争に熱中する様に幻滅した。だからこそ綱吉の「仁慈に基づく」社会政策には類のない感動を覚えた。
  この『日本誌』は18世紀に英仏蘭独などで出版され、ゲーテ、カント、モンテスキューら当時の知識人に広く読まれ日本観形成の基礎となった。シーボルトも日米修好通商条約のハリスも皆読んでおり、いつしか西欧列強では、この国(日本 )が植民地になるなどはないだろう、とする認識が広まった。
  自分たちの歴史を知らないのは日本人だけではないか。
                 ( 藤原正彦氏 「一冊の本」週刊新潮 1月29日号)