■ ファイティング原田への回想

  「ファイティング原田」と君は親戚か、といきなり聞かれたことがある。何のことだと聞いたら、ファイティング原田というのが今度世界チャンピオンになった、同じ「原田」だから親戚か、ということ。私は面倒なので、まあそんなもんだ、と答えた。遠い昔、私がアメリカ・オクラホマ州に高校留学をしてた頃、昭和37年 (1962 年) 10月くらいだったのだろう。爾来、私はこのプロボクサーが他人でないような気がした。彼は遂には不世出のチャンピオン、大ボクサーとなり、日本ボクシング協会会長を長く努めた。加えて縁あって、私は彼と交際もすることになった。若い時はよく、「俺はファイティング原田だ」と両手で胸を叩き元気を誇示したりした。

  百田尚樹の『「黄金のバンタム」を破った男』を読んで、ファイティング原田の来し方が改めて分かった。原田は世界フライ級でチャンピオンになり、続いてバンタム級に挑みエデル・ジョフレ( ブラジル )という鉄壁のチャンピオンを倒して驚異の2階級制覇。実はその後フェザー級にも挑戦し、実質は勝っていたに関わらずホームタウン判定で3階級目は果たせなかった。19歳の原田政彦がフライ級チャンピオンになったことは世界的ニュースになり、それがオクラホマ州にも届き、それが私への質問になったということ。
  今もボクシングに世界チャンピオンはあるが、これは最早大きなニュースにはならない。その昔は世界チャンピオンは8階級で一人ずつしかおらず、文字通りの「世界チャンピオン」だった。今は体重別で17,8階級に分かれ、しかも主催団体が4つ、5つが張り合って世界チャンピオンを勝手に量産する。80人近い「世界チャンピオン」ではまるで値打ちが違うのだ。
  この百田尚樹著作「黄金のバンタム」は戦後日本のボクシングの格闘史を克明に描き、かつ国の盛衰と国民の情感を文明史的にも論じた。白井義男がフライ級チャンピオンになったことが敗戦にひしがれる日本人にどれだけ大きな自信と誇りを与えたか。戦後日本の誇り、湯川秀樹のノーベル賞と双璧だとさえ私には映った。