■ 南アジア訪問報告

 819日から27日まで衆議院外務委員会の公式派遣団としてブータン、インド、ミャンマー3国を訪問、途中タイ・バンコクには乗り継ぎにて1泊しました。私にとって2年ぶりの海外出張です。報告がおそくなったのは、在外中インターネットの具合がうまくなかったこと、帰国後も仕事に忙殺されてネットに向かう余裕がなかったことなど。

 

< ブータンにて >

 ブータンはインドと中国に挟まれた小国で人口は僅か723万人、もともと王国であったが、民主選挙が取り入れられ今は君主制議会主義となった。開明的国王が続き現若きワンチュク国王(5)は一昨年大震災後の日本に来て心からの慰問と敬虔な祈りを捧げてくれたこと、さらに国会で演説しGNP(国民総生産)に代わるGNH(国民総幸福)を訴えて日本国民に多大な感銘を与えた。もちろん国全体は貧しく、飛行場のパロから首都ティンプーまでの2時間も山岳道路をガタゴトひた走るだけ。都内は王宮を中心に伝統的な街並みです。全ての家は、王宮も、殆ど例外なく、屋根は平ら、幾何学の長方形が積み重ねられたような、概ね茶系。人々も男性は「ゴ」と言われる民族服、日本の丹前に似て袖が白く長いのが特徴だ。女性はずっと自由系。人々は皆敬虔な仏教徒、落ちついている。

 夜は国会議長さん主催の歓迎会、郷土料理のセルフサービス型、日本の盆踊りそっくりの舞踊団で盛り上がったところ首相、外務大臣まで入ってきて大騒ぎに。

 引退の四世国王との謁見では国際情勢について極めて高い見識を拝聴した。ダショー(爵位)西岡の墓所に参った。西岡氏はJICAの農業指導者(1964-92)としてこの国の近代化に大いに活躍した。外国人として始めて国王から爵位を受け、その墓所は国民の尊崇の場となっている。

 

< ミャンマーにて>

 長く社会主義的軍政が続いたが、年に民主主義議会が樹立された。未だ貧困国で日本は500~1000億円規模のODAを出して空港建設などに円借款しているが、紐なし援助(アンタイド)であるため日本企業が必ずしも落札出来ずにいる。外国投資を熱望しているが、それにふさわしいインフラ(道路、電力、水・・・)などがおくれており、今後経済発展には国内インフラの整備が特に望まれる。旧首都ヤンゴンに比べて人工的新首都マンダレーは異常に煌びやかな国会議事堂と都市インフラや民政の実態との余りの不均衡な国家建設にいささか不安を覚えないでない。外務大臣、国会議長、外交委員長らと会談、政治的には、民主選挙が始まったばかりで、依然軍政の影響大、アウンサン・スーチー女史が国会議員となって以来、明後年の総選挙(大統領選)で女史派がどうなるかが最大の関心事。

 戦前戦後多くの日本人が亡くなり、日本人墓地に大事に埋葬されている。福岡県人墓碑もあり、心からの献花、礼拝を行なった。

 

<インドにて>

 首都デリーで外務大臣らと会談。バンガロールでは、日本人企業と会食。うちソニー企業とヨコカワ企業の工場見学。いずれも大いに活躍していた。バンガロールとは今や世界のIT産業都市、少し前のアメリカ・シリコンバレーに次ぐものとして、日本のIT企業が目白押し進出かと思いきや、IT分野に殆ど日系企業見当たらず、これでいいのかと心配になった。インド人労働者は比較的純粋で教育さえすればいい人材に育つ、と日本人経営者たち。ムンバイ(ボンベイ)のスラム街は飛行場のそばから始まり、最早観光施設の様相も。街中は人、人、人・・・、車、車、車・・・インドの活力を改めて目の当たりにする。多くの地域開発計画が進んでいるが、結局誰が金を出すかにかかる。現下非常な通貨ルピー安が進行しており、経済政策もうまくいってない。ガンジー翁の居所を訪ねた。

 

<南アジア外交総括>

 多くの指導者たちと会談したが、まず中国の影響が強くなっており、昔の政治的影響から今は経済進出にも懸念を持っている。それなくも中国と国境を接して民族的圧迫を感じている。よって日本が指導力を発揮してアジア諸国を元気づけて欲しいし、アベノミクスの成功こそ今自分たちが何より望んでいる。